大牟田の石工、狛犬の銘

狛犬の台座に彫られた記銘
2010-01-12〜

大牟田市の狛犬を眺めて回っているうちに石工の出身地の地名が辞書に載っていない文字なので気になり始め
調べているうちにこれは石を刻むときの略字で
あろうと推定するにいたりました。

ここでは狛犬の台座に名前を留めた石工の古里を辿って見ることにします。

 石工の古里

  

1 大牟田市銀水-草木八幡宮                  2 大牟田市銀水-銀水八幡神社



  

3 大牟田市岩本-釈迦堂(八幡宮)             4 大牟田市岩本-八幡宮(明治14年=1881)     

この文字ではなんと読むのかまったくわからず、重たい石造りだからさほど遠隔地に生産地があるとも思えず
石に関連のある地域を地図や文献で探し、辿り着いたのがこれは彫刻するための略字、あるいは古文字ではないか?
「3」の写真では野の字が変形した文字と思われる字です。

そこでこの文字の右側を「櫟」に置き換えると大牟田市の熊本県と境を接する「櫟野=イチノ」という地区に到達します。
そういえば櫟は礫(ツブテ)にも似た文字ですね、礫っていう漢字は石を投げると音が出るから櫟なのかな?)。



            

5 駛馬天満宮鳥居側狛犬の台座(大正10年=1921))        6 神殿側狛犬の台座(明治40年=1907)

ここで「写真4」の石九幸一という石工の名前と写真「5」の石工 石九幸生という名前が似ていますね。
そして櫟野という字が出てきてご丁寧にカタカナでイチノと彫られた文字に行き当たりました。

1921年と1881年ですから40年の開きはおじいさんとその孫か?
7の早馬天満宮の幸市さんは明治31年=1898)がそのまた親父さんか?




7 今度は早馬天満宮の巨大な狛犬の台座(明治31年=1898)。
今度は三川村大字櫟野(略字)と彫ってあります。
これですべて氷解ですね。
昔三川村があってそこに櫟野があって石工さんの名前も「石九幸市さん」がお頭。



    

8 石工の里 櫟野の諏訪神社           9 石灯籠の頂点に狛犬が逆立ちした天明8年の灯篭

ここは石工の故郷ですから櫟野とは彫ってありません、
「當村石工」と彫ってあります。




10 これでやっと石工の古里に辿り着きました(櫟野の諏訪神社から)。


11 福岡市天神アクロス前の水鏡天満宮

ここの石工たちは狛犬を刻んだので名を残しておりますが福岡市の中心部旧県庁跡の前(今のアクロス)の
水鏡天満宮の石柱にも先祖が灯篭を奉納したという大牟田市舟津町の石工の子孫の銘を見つけました。
舟津町と櫟野は東西に直線で6kmぐらい離れてはいます。

また
大牟田市最古(1463年)といわれる石造の狛犬が「櫟野=イチノ」の隣村「教楽来=キョウラギ」に鎮座しています。

大牟田市と南関町、そして荒尾市が接するあたりの教楽来から櫟野と真西へ下っていくと
大牟田駅にカーブして北上するあたりの現町名青葉町に日本最古の導水橋
「早鐘眼鏡橋」が現れます。
三池藩が総力を挙げて作ったであろう石造のアーチ橋は数キロ上流側の櫟野の石工が作ったと考えるのが妥当でしょう。
藩の一大事業ですから石工の名前などは刻まれておりません。
この導水橋と水源の早鐘池の間には石炭の鉱脈があり後に縦横に掘削されたため
漏水して導水ができなくなったようです。


早鐘眼鏡橋(導水橋)の建立記念碑、寛文4年(1664)銘 、と漏水で導水不能になった経緯等を記した碑
(狛犬や導水橋に関しては別項で記述します)


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