朝倉市の山田堰と水神社
2010・9・29


福岡県朝倉市は博多湾から南東に直線でおよそ45kmぐらい、中間あたりに大宰府があります。

ここに西暦661年に斉明天皇が都を置いたということになっています。
これまでは畿内でだけ都があったのですが九州にも朝廷が開かれたことがあるのですね。
その朝廷のことについては次のレポートで纏めてみたいと思いますが私は歴史のことには疎いので
これから書きますことは伝聞や書籍類の拾い集めになります。

2010年9月12日、稀に見る猛暑がやっと通り過ぎたとの思いで朝倉の三連水車がふと脳裏をよぎりました。
江戸時代から続く水車での灌漑がいまも機能しているのです。


1  三連水車


2  三連水車(川下の角度から)



3  この水車を通り越して少し進んだところで神社のマークを見つけたのでちょいと寄り道したら柿畑の頂上付近に2個の古墳と
小さな社の裏側にこれまた小さな狛犬たちが寄せられていました。



4  おっと、寄り道をしてしまいました。
三連水車の源を探ろうとの遡上だったのです(写真は継ぎ足してパノラマにしています)。



5  パノラマでは判りにくいので地図で見てみましょう。
上の継ぎ足しパノラマ写真は黄色い楕円の水神社の境内辺りから右側の筑後川上流を写したものです。



6  治水は数百年の戦いで、今も続いているのですね。

ペシャワール会「用水路のモデル」 山田堰へ視察続々 江戸時代に築造 途上国も注目 朝倉市・筑後川


ペシャワール会(事務局・福岡市)がこの山田堰を参考にしたということで各国からの視察が絶えないそうです。



7   
そして水門の上には「水神社」が建立されていますが水路を跨いだ神社というのは珍しいですね。
これは水門を通り抜け水神社の下を通り抜けた水路の出口側です。
ここから下ったところに三連水車・二連水車等が揚水しています。



8  拝殿の正面は筑後川上流です。
2対の狛犬たちも川に向かって愛嬌を振りまいています(左側ブルーの構造物は水門ゲート)。



9 鳥居の前の狛犬・阿



10 吽



11 拝殿脇の・阿



12 吽
2対の狛犬たちはすべて慶応二年(1867)の奉納となっています。
幕府が大政奉還した明治元年は翌年です。


TOPへ戻る
END