世界最大サイズと思われる1眼レフの修復
                                                          2004 5 3

撮影サイズがエイト・バイ・テンならぬセブン・バイ・ナイン 
つまり画角が170×225mmもある1眼レフの残骸が転がり込んできました。

状態は非常に悪く上蓋の革張りなどは剥がれてしまってそっとあてがっていますし、」
外装の革はこするとぼろぼろと崩れます。
前後面の木材はマホガニーと思われる材質ですが触るとぽろぽろと崩れ去る始末。
本体の木材は桧のような感じの割と安っぽい材料ですが不思議にしっかりしていますが
長年放置されて水分の吸収などもあったようで膨れ上がっています。

シャッター機構を眺めて見ますとこれはちゃんとしたもので、
なにぶん特殊な寫眞機ですから誰でも簡単に触るチャンスは無かったと見えてほとんど磨耗などはありません。
さびを落として給油、ネジの増締めなどの手入れでうまく行きそうな感触です。
なお、この機構はなにかの機材の流用ではなくこの寫眞機のために設計されたメカニズムと思われます。

シャッター幕は幅27cmもある巨大なサイズですがオリジナルの幕やリボンは完全に一体の化石状態で
元のリボンや幕の長さを計測することは不可能です。


ふざけてレンズボードの穴にシノゴのRFカメラを差し込んでいます。
これでも大判カメラなのですがそれを飲み込むサイズです。


これは後方から見たところです。レボルビングバックとぼろぼろの撮り枠が左側に見えます。
下に敷かれた白い紐で分解し内容に縛ってありました。


どこにも銘がありませんがミラーの隅っこに25,6、Vと読める記入があります。
1925年でしょうか? 他に文字はシャッター周りに小さくD.R.Pとありましたので
ドイツで作られたのではないかと推測します。
なにか判りましたらご一報願います。

ミラーは後ほど交換しないといけないようですが、それよりもひずみが起きていて
ミラーを下ろす定位置に巧く収まらないので整形しないといけないのと定位置にロックする
スプリングが無いのでどこかに作ってやらないといけません。


シャッター周りは作動回数が少なかったと思われますので錆びてはいますがしっかりしています。

あと幕はここまでは下がりましたがあとはずたずたに切れてしまいました。
先幕は下のシャフトに巻き付いて全く一塊となり、軸も回れない状態でしたので
ボディの一部を壊しながら剥ぎ取りました。


幕のテンション調整機構ですがつまみなど幾つか部品がなくなったいますので製作しなければなりません。


早速、先幕だけを製作して見ました。

オリジナルの採寸が出来ませんでしたがこれまでにたくさんの授業を経験していますので
でかい分だけ製作が楽なところもあるわけですし・・・エイヤーと製作しました。

ペンタックスMXがあるところに下から7cmほど引き出された状態です。
なかなかよさそうな感触ですが30cmもゾロリと移動するさまは壮観ですねぇ。


5月3日夜

昼間少し気になっていたことがありまして後幕の工作を始めました。
じつは気になっていたのは、シャッターダイヤルに書いてある数値です。
ストップ位置に小さくかかれた数字と文字は以下の通りなのです。
3-10-16-24-35-50-60-70-80-90-100-120-145-Z-?

最初は3=1/3秒とばかり思っていました、したがって最高速度は1/145秒、
ところが後幕を仮付けして動作を確認するとどうもおかしいのです。

判ったことは・・・
このきめ細かい数値はすべて幕のスリット間隔をmm単位で表したもので
そういう目で計測すると確かにそのようなスリットの開き方をしています。
このような表現方法の寫眞機は始めてお目にかかります。
このスリットと幕の巻き戻しテンション(1〜8まで8段階)の関係を数表にでもして
貼り付けないとシャッター速度は理解できませんね。

さらに、スローガバナーと思しき機構がありますがこれが全く動きません。

幕はアンゴー(ドイツの古典カメラ・フォーカルプレーン幕がセルフキャッピング)とも
エルネマンなどの形式とも少し違う構造です。
幕のセッティング時は開放したまま巻き上げるのですがアメリカのグラフレックスなどと
同様にミラーが下りていてそれでレンズ側からの入光を防いでします。


5月4日


 左にほんの少し見える大きな動輪が幕軸制御をしている歯車です。
これはシャッターチャージの時に手で巻上げます。

 戻りは幕のリターン軸に組み込まれたコイルスプリングで反転しますので
普通のバルナックライカなどのフォーカルプレーンシャッターの構造と基本的に変わることはありません。

 それに接する小さな歯車は、右上の数字の書き込まれたダイアルを廻すと大きな動輪と噛み合います。
高速時には小さな歯車は接していませんのでシャッターを切ると動輪は勢い良く元の位置に走ります。

 ところがこの小さな歯車が噛み込むと下に隠れた2個の歯車で増速されて中央の真鍮の円盤が回り、
その下にある(ここでは見えませんが)2個の遠心力ガバナーを使って定速制限をしながら速度抵抗となります。

 その2個の遠心力ガバナーはまるでハンマー投げの選手が勢いを付けて弾丸を振り回す様に回転をします。
最大振り代を調整するのがその円盤の上の半円状の腕木なのですが、馬鹿でかいカメラの中で
まるで懐中時計を思わせる精巧さでちゃんと仕事をしてくれています。
(中央円盤の直径は16mmです)

 私はこの手の速度調整機構は今までに見たことがありませんので、多分このカメラの特徴であり、
またそれだけの機構を組み込めるスペースに恵まれていたということなのかもしれません。


5月5日

 幕張が一応完成しましたので今朝からブラインドを上げたり下げたりしていますが
さすがに右手の人差し指と親指の皮が剥げそうになった感じで痛いです。

 最低幕幅をオリジナルでは3mmとしていますが、幕の材質、機構の不具合など考慮して
最低幕幅は8mmとしました。
最大幕幅は250mmです。

 さて、8mmスリット幅で最高速度どれ位か簡単に計測して見ます。
テンションは0〜8までありますがとりあえず(5)としました。
昨日書き込んだスローガバナーのテストも同時にやって見ます。

 道具は記録計とフォトセンサー(詳細不明)と懐中電灯です。
懐中電灯をBOXの中で点灯しておきます。
8mmスリットのすぐ手前にフォトダイオードを手持ちで構えておきシャッターを切ると幕が走り
記録計は入射光のレベルで自動的にトリガーします。

 汚い記録ですが、1番上がスローガバナー無しで走ったもので時間は約8/1000秒です。
つまり1/125秒と云うことになります。

 次にスローガバナーを1段働かせてテストします。
真ん中のチャートは14ms、 14/1000秒間露光しています。
つまり1/70秒程度ですね。

 今度はスローガバナーを2段目にいれてテストです。
下のチャートは18ms、 1/55秒です。

さらにもう一段スローガバナーがありますがこれはさすがに抵抗が大きくて幕速が不安定になります。

 スローガバナーがちゃんと働いていますね、スローガバナーが入ったほうが操作音も穏やかで
ガサッと云う大きな音も軽減できます。

 それと、最スローの幕幅250mmでは上記の数字の約30倍の長時間露光になりますので
ガバナー2段目動作時の 18ms×30=540ms  約0.5秒のシャッターも切れるということです。

 実際にはまだ幕の巻き取り速度を上げたり出来ますので、スリットをさらに狭くするよりも、
このままで最高速度1/150程度の速度は実用で使えると推定しますのでこれで良しとします。

 この機械のシャッター調整箇所は幕幅と、スローガバナー、巻取りテンションの3箇所もあります。
さらに幕幅は14段もある複雑さです。
 そこで、整理して1/150、1/125、1/60、1/30、1/15、1/8、1/4、1/2、
となるような設定の表でも作ろうかと思っているところです。


5月6日

 本日の発見

 ご覧頂いている方たちのご意見でぼろぼろの板もエポキシで張るべしとのご指摘。
不足の部分は新しいのを埋めることにして進めました。
前板レンズボード回りの接着が終わり、古い塗装をはがしながら段差を埋めたりとやっているうちに
レンズボードを受ける黒塗りの真鍮版のぶ厚いエナメルをはがしたところなんと小さな文字で
{CURT BENTZIN GOLITZ} とかかれているではありませんか!
凄く細い線書きですからエナメルを塗ってしまえばこれは隠れてしまったと思います。
どうして社名を消したのかは判りません。もしかすると試作品だったのか?それともOEM?
この真鍮帯の寸法は11mmで 文字の最大高さは1.5mmしかないのです。

 この会社はユニークな2眼レフや良く知られた「プリマーフレックス
(ハッセルブラッドが大いに参考にしたと思われる66サイズの一眼レフ)などを生産した会社ですね。

社名は開口部下側の真鍮が横に貼ってあるところです。

 もしかすると試作品かも?
と云う根拠には構造欠陥と云うか僕の腕では解決できないトラブルが発生しています。
幕速をある程度早くしてスロー-シャッターを切ると巻かれている後幕が遠心力でふくらみ、
幕を収納しているチャージ室の壁と衝突して引っかかるのです。

 幕の材質の問題かもしれませんね、僕が使っているのは携帯暗袋を解体した物で厚みとか重量はあります。
スローガバナーを効かせるとか逃げ手はありますがそれでは製品とはいえないし・・・
 
 少し頭を冷やしましたので手を打って見ます。
 幕を収納しているチャージ室の壁を広げるのは大変なことになりますので画用紙を差し込んで巻き軸の回りを
ぐるりと円弧を描いてUの字にガイドして見ました。
すると、アラ不思議、どうも妙な四角四面の空間があるよりは少し接触しても円弧で常時包まれているので
突っかかる所がなくなってするりと通過するではありませんか。

 写真で緑色の物が見えますがこれが画用紙です。
後幕はこれから下に下りるところですね、先幕は既に下に走っているのですが動きを規制して撮影するために
赤い画鋲でリボンを止めています。
 画用紙の1端をボンドで壁に貼り付けて問題解決。
カート・ベンツイン社でこの実用新案特許買ってくれないかな〜。




5月7日

 本日は上蓋(フードカバー)のアルミ板から止めどもなく白い粉が出るので(ボーキサイトに戻るのかなぁ)
とりあえずラッカーーを吹き付けました。色は明るいグリーン、其処にあったペイントです、色は何でも良かったのです。

さて、外皮は何を張ろうかとそろそろ気になり始めました。
その前に、外側で剥がせるところははがしておかねばなりません。

 気になっていたのがレンズボードを前後させる腕木の左右はシャフトを連結しておけばラックピニオンは
簡単に同期して動くのですが上下のスパンが30cmもあるので、この腕木は4本でしかもすべてラックを切っています。
4本の腕木をすべて同期させて駆動すればいこのダイアルで全部が平行に動くわけです。
 下の腕木の左右はシャフトが通っていて簡単に同期しますが上下の連結は壁の中に沢山歯車を入れて繋いでいるのかと
思っていました。実際は下の写真の通り、すっきりしたものです。
 
 開けてびっくり、何のことはないクランクシャフトで歯車を繋いでいました。
そういえば蒸気機関車を見ることもなくなりましたね〜(と、誤魔化す)
左側が上側で右の下側のギヤを廻して上下4本のラックを同時に動かしています。

簡単なようですがガタがあったりすると上支点下支点で逆行しかねないトラブルを発生するところなのですが
巧い具合に動作しています。
未だ片側しか剥ぐってていませんが、きっと左右では動作角度を90度ずらせてトラブルを防止しているのでしょう。

 まさに青天の霹靂、コロンブスの卵でありました。
判ってしまえばなんてことない機構ですが、脳みそが半分硬くなっていた自分にハタと気がつきました。


5月8日

 実は昨夜のことですけれど、ミラーが痛んでいるのでせっかくの製造年らしい書き込みがあるミラーだけど
交換しないと仕方ないかと外して見ました。
 ミラーのホルダー部分は軽くしないとイナーシャが馬鹿にならないのでアルミニューム板で作られています。

 すると、なんと其処に鉛筆書きの何やら由緒書きらしきものが見えるではありませんか。
現物は光線の具合でやっと見える程度のものですが今朝を待って色々と光線の具合を変えて撮影し、
ここからがデジタル時代のありがたいところで画像処理で特徴を浮き出させたのが下の画像です。

この枠外に””と刻印がありますので間違いなく製造番号2番であろうと推定します。


どなたかこの文章を解読してくださいませ。(5月13日の記事をご覧下さい)


5月9日



一面ずつ貼って行くことにします。
古い老化した革を丁寧に剥がして新しい革を貼るのですが、
付属金具を止めているモクネジが完全に腐っているのが多くて困ります。
真鍮モクネジはこの機体にはほとんど使ってありません、きっと強度の問題だと思います。

右側の添え物はシノゴサイズの代表機、スピグラです。
グリーンの塗装がかかっているのはアルミプレートですが猛烈なさびを止めているだけで
まもなくレザーで覆ってしまいます。


 借用品のレンズが届きました。
deltar anastigmat f:4.5  8×10 となっていて焦点距離は書いてありません。
約30cm(12インチ)と思われます。
SLRには明るいレンズは何よりです。
前玉の外周に0〜5までの数字が記入してあります。
私の勝手な解釈でわざと収差を作ってソフトフォーカスにしているのではないかと思います。

レンズの気泡です。かなりありますね。


5月13日

 ここ数日パソコンのトラブル等で空白がありましたが寫眞機の方は進捗しています。

 素晴らしいことに、ミラーの裏側の署名を解読することが出来ました
ニューヨーク在住のお医者さまが同僚のドイツ人の方にお尋ねになりましたら、この文字は古典ドイツ文字で
1941年以前に教育を受けた人でないと知らないということです。
その方のお婆さまにお尋ねになったらついに解読出来ました。
 この解読を同僚のドイツ人のお孫さんが英語に直していただいて
それをさらに日本語に通訳していただくという素晴らしい連携でした。

 なお、お婆さまの話では1920年以前の製作ではないかと云うことです。
ニューヨーク在住のお医者さま(日本人)の方のお調べでは
 ・確かにドイツ語。
 ・これはSuetterlin Scriptといわれる、1915年から1941年にのみ教育された、
 独特の筆記体である。同名のグラフィックアーティストによって考案された。

 このSueterlinについては
http://www.peter-doerling.de/Englisch/Sutterlin.htm
だそうです。

 英文に訳すると
"How capable is the camera, I went to great trouble with it. Rothe G[o]rlitz, Untermarkt25"

 和文
「このカメラ、うまく動いている?これ作るの、凄く大変だったんだよ。
Under market(通りの名前)25番地にて、」

Rothe というのは人名で、G[o]rlitzというのは市名か人名のラストネームか不
明だそうです。地名として訳すと

「このカメラ、うまく動いてますか?本当に大変だったから。ゲルリッツ市、ア
ンダーウォーター通り25番にて、ロス」


こんな街のようです。と街のご紹介もありました。

http://www.sundials.co.uk/~gorlitz.htm

http://mitglied.lycos.de/WeezeWolf/gorlitz/gorlitz.html

街を紹介した日本文の案内はこちらです。
http://www.visit-germany.jp/default.asp?ID=319

まるで製作者のロスさんにお話を直接聞かせていただいているような不思議な気持ちです。
まさか80年も経って日本で開かれるとは思いもしなかったでしょうね。

 「ロスさん、貴方の精魂こめておつくりになったこの寫眞機はまた復活いたしました、素晴らしいものを有り難うございます」

フイルムバックの加工をしましたので矢も盾もたまらず始めての試写をしました。
レンズはウォーレンサックのDeltar f:4.5 を6,8〜8の間に設定、シャッター速度は約1/3秒です。
外は雨、写すものもないので庭の花を切って挿しました。
雨に打たれてしょんぼりしていますが、周辺はフイルムサイズでカットしています。
4隅が円弧を描いているのはレボルビングバック機構の都合でこれ以上は広げられません。



5月16日

 昨日、四国在住の友人からこの写真機用に大きなレンズが送り付けられました。
チェコのApoーBelar 1:9 450mmです。
流石にこのボデーにもそのままでは長すぎる焦点距離ですのでレンズとレンズボードの間に延長鏡筒を付けます。
塩ビパイプの異型継手65-100を工作して見ました。

 まるでチェコ娘が裾の広がったスカートを穿いているようです。


 ちょっと格好いいですね、これで全備重量8,3Kgです。


バックはあいたままです。


 バイテンのホルダーを装着したところです。


 ピントグラスのフレームですがこの通りばらばらになっています。
 コーナー4箇所にはピント位置微調整の面白い仕掛けがありますがここも再現しないといけません。

 材木の強度が無くなっているので新しい部材と差しけたりしながらなるべくオリジナルの部材を残すようにします。
正直なところ、新しく作ったほうが手っ取り早いですね。
 まるで古墳時代の埋蔵文化財を修復しているような気分になることがあります。


5月17日

幕速の表を作りました。
これが本機の性能です。
最高速度1/300〜1/10ぐらいまでですね。
遅いほうはガバナーをもっと効かせると1/5ぐらいまでになりますが不安定です。

上の表はtensionダイヤル最大の(8)です。
下側はtensionダイヤル最小の(1)です。
tensionダイヤルをぐるぐる最大に廻しても最高速側で50%変わる程度ですね。

バイテンSLR幕速
tension8(Max)G=0 /秒   G=1 /秒
slit     1 300 125
       2 75 45
       3 44 30
       4 23 17
       5 10 8
tension1(Min)G=0 /秒   G=1 /秒
slit     1 200 85
       2 50 33
           3 30 20
       4 18 12.5
       5 9 7

G=0とはガバナーを効かせない状態です。G=1とはガバナーを1段入れた状態です。
ガバナーのダイヤルには4段階ありますが2段階目でも1段階目とあまり変わらないし
3段目となると幕が停止します。


 エイトバイテンのフレームを残していますので黒い縁取りがありますが モデル本人はまだ元気です。
つまり、エイトバイテンよりこれだけ小さく写るのですよと云うことです。
オリジナルの9×7よりは広げられるだけ広げています。
これはプリントしていませんし、フイルム原稿としてはシノゴまでしか取りこめないので普通の原稿として読み込みそれをネガポジ反転するやり方ですのであまり参考にはならないでしょう。


5月18日
 フイルムがあと1枚、新たに買うと20枚で約8千円。
あと数枚の試写で完成となるのでもったいないなぁとか貧乏人の考えることはさもしいものであります。
が・・・其処が新しい事へのチャレンジを生むのでもあります。

 シャッター速度もあまり安定なものとは思えませんし、貴重なフイルムを無駄にしたくない。
そんなところからシノゴの国際規格バックを付けようかと言うことになりました。

たぶん既製品でこのような装置は市販されていると思いますがあり合わせの材料で作って見ました。
シノゴのポラロイドパックを使って適正露出などの確認が出来ますしシノゴの望遠系寫眞機として使えないこともありません。
素材の都合でエイトバイテンのフイルム面よりも2mmバックしたところにフイルム面が来ます。
35mmサイズのカメラですと大変な誤差になるところですが焦点距離450mmなどと云うレンズで2m〜∞までが20cm以上も繰り出さなければならない寫眞機ですから誤差は気にしないことにしました。
 もともと露出計代わりのポラロイドですからピント合わせがすんだ時点でちょいと2mmバックさせてもいいですね。


ポラロイドフイルムを装着したバック。普通のシノゴの6連装のバックに換えれます。


柏葉アジサイを撮影しました。フジインスタントフイルム・シノゴ
まだ花が満開でないので緑がかっています、まもなく真っ白になります。
露出アンダーもあるようです。


5月20日

 仕上げの段階に入りました。
スリットの間隔が試作品のためか非常に細かい刻みになっています。
実用的ではないので必要なところでしか使わないようにダイヤルに新規の目盛を付けました。
1から5までの5段階です。

オリジナルは15段も刻んでありますが、これが私の考えるところでは試作品であろうという推測の一つです。

 ダイヤルに書き込むと失礼になりますのでメタリックシートに印刷して粘着材で貼り付けました。

ついでに巻き上げ回転方向の矢印も書いて貼りました。
下の小さなダイヤルがガバナーの調整ダイヤルです。
これは4段階(現実はアナロガスに変化します)ありますが0と1だけを使います。
特別にスローが欲しいときには1以上にすれば不可能ではありません。


 スリットのtensionを調整するダイヤルです。
この付近は部品が何もついていませんでしたので勝手に製作しました。
 右上の小窓にに0の文字が見えますがただいまテンションは最低です。
最大の8までUPすると派手な音で動作しますが幕速はさほど早くはなりません。
 ほとんど最低速で使うのがいいかと思います。


スリットとテンションなどの露出時間のテーブルを作って貼りました。
1/300〜1/10程度までの速度です。
内容は5/17日の記事とほぼ一緒です。


5月21日
 ストロボ撮影は出来ないかとのご相談アリ。
実は少し手抜きがありまして幕の間隔が少し狭いので縦画面では蹴られが出ます。
其処で横画面でだけと云う条件でストロボ同期を試みて見ました。


 幕の左右にこのような機構を取り付けます。
細い弓なりの部分は2mm幅の燐青銅板でバネの働きをします。
これと先幕の左右を細い電線と電極で繋いでいますので先幕が下に下りた瞬間ストロボが発光します。
 当然幕は最大に開いたNo5のスリットで使います。



早速ストロボテスト、シノゴを縦置きにして撮影しましたが、もう少し上まで蹴られていないか調べる必要がありますが
先ず自信がありますのとエイトバイテンのフイルムが無くなったのでテストは致しません。


5月22日

本日最後の仕上げをしました。
先ずは昨日4枚目のバイテン撮影(フイルムが4枚しかなかった)

バルブ動作が可能かどうかのテストですのでf:90に設定、レンズキャップを2秒間開閉。
レンズキャップを忘れたのでレンズの前に財布をあてがって開閉・・・(ベラー)
完全に露光オーバーでしたが」一応の目的は達成。


シノゴアダプターでインスタントフイルム撮影。
目の高さの物を水平に写すにはこんなことになります。


今度は一輪の花を狙います。ベラー450mmで最短2mほどの所から。


上の写真の状況で撮った物です。

これで一応完成と云うことで関東方面へ旅立ちます。


5月24日

 後片付けをしていたら最初に送付されてきたダンボールケースの中にもう一つレンズボードが入っていました。
なんとフランジのネジサイズは125mmもあります。
 焦点距離は360mm程度のはずですからレンズ絞り径が100mmだったとすると開放f値はf:3,5という巨大なものになります。
欲を言えばキリがありませんが見て見たかったですね。

 なおこのフランジに(1)と彫刻されていました。
乾板撮り枠の中の普段は見えないところ(分解しないと見えないところ)には手書きで(2)との記入が裏表に書き込んでありました。
1号機と2号機は同時進行で製作され最後にレンズが入れ違ったのかそれともこの兄弟はずっと一緒に取り扱われたのか気になるところです。


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