AGFA CLIPPER SPECIAL F:6,3
WEB仲間のMさんが616というフィルムは入手できませんか?などと妙な問合せで調べてみると
KODAKが1932年に発売開始、1984年 Mayに製造中止 サイズは2 1/2×4 1/4 inchとなっています。
そうそう、このカメラ発売は1939年 僕の生まれた年ですね、僕も無駄に長く生きたもんだなぁ。
いつまでも餓鬼見たいな気分で居ないで年に一度は遺影になるようないい写真を撮っとかなくっちゃね。
ははぁ 特殊サイズのカメラだので安く仕入れて往生しているな、フフフと思っていたら案の定、
「アンタにしか写せないカメラだよ」と
他の荷物と抱き合わせで送りつけてきました。
これがまた惚れ惚れするような立派な革ケースに入って、しかも蛇腹じゃなくて
金属(ブリキ式)四角鏡胴沈胴式の、眺めているだけでも面白そうなカメラじゃございませんか。
前板の両脇を引っ張るとバチーんと元気よく前進ロック。
しまいこむときは両脇の出っ張りをおしながら押し込むとパチ―ンと景気よく沈胴します。
鍍金は洋白というかプラチナに似た少し温かみのある鍍金(ニッケルですかね)が堂々としています。
レンズはANASTIGMAT AGFA F:6.3となっていて一番絞り込むとF:22までになります。
シャッターはT,B,100、50、25のエバーセットシャッターです。
距離の調整は前玉回転式の4feet〜∞迄ですが目盛りなしでエンドまで廻せば3フィート弱まで近寄れます。
さてこのカメラを動かすにはブローニーフィルムを使えるようにするしか手はなさそうです。
画角は実測してみると63mm×51mmとなっており現行の6×4,5の 52mm×42mm?と比較すると大分大きいですね。
裏窓を観察すると2個ありますが59mmピッチ、この窓の位置を通過する現行フィルムの数値はハーフサイズ用の45mm間隔の数値です。
片方の窓を潰して45mm一齣で移動することにして画角を43mmに決定しました。
ただし駒間が2mmしか余裕がないのでカウントを丁寧にしないと隣の駒と重なります。
これが沈胴を引っ張り出した状態の格好です。ごついけど何か安心感のあるデザインです。
一番下が今はなき616フィルムのスプールで、芯は細まきで620フィルムと感じが似ていますね。
そういえば620も同年の1932年に発売されたものでこれは1995年まで生産されたので息が長いですね。
一番上にある4個のポッチはアルミニュームから旋盤で加工してアダプターを作りました。
一番右端はスプールを引っ掛ける真鍮の爪をつけました。
圧入すれば完成ですが念のために瞬間接着剤を流し込みます。
オット中央に置いたスプールは120の現行用です。
このフィルムもドイツの大手メーカーAGFA(このカメラのメーカーでしたね)が
ついに120(ブローニー)の生産中止を発表してしまいましたですね。
35mmフィルムもそのうちに終焉を迎えるのでしょうか、悲しいことです。
さてアダプターを打ち込んだので120フィルムが使えます。
両サイドはパーマセルテープとエンビ板で少し狭めて42mm〜43mmの画面幅にしています。
全体としてフランジバックがパーマセルテープの分だけ長くなったことになります。
1 即刻当家の前の街路樹の根元を1枚。最短表示の4フィート(全て目測)です。F:8
フィルムは昨日知らせを受けた貴重な生産中止品 AGFA ASA100
とりあえず日本に残っていた200本を押さえましたので当分安泰ですが寂しい気持ちでのテストとなりました。
2 裏庭に討ち捨てられたバイク
3 同じく裏庭の暗い場所枇杷はまだ青い。 F:6.3 1/25
コニカミノルタPR160PS 自家調合現像、ネガカラー。
現像中に訪問者があり現像時間をオーバーしてしまいました。
現像液とこのフィルムの相性は非常にいいと思うのですが・・・
1 臼杵城址に展示してあった地元出身の彫刻家が製作した「俊寛」の像。
肝心の作家さんのお名前をメモするのを忘れました。
2 国東半島 千塔寺址
3 大分県 臼杵市 国宝の宝篋印塔
国宝臼杵石仏群とひとつの谷を隔てた一角にあります。
4 この石仏群のすぐ左に大日如来の首を元に戻した有名な古園石仏群が並んでいます。
f:16 3秒ぐらい露出しています、このカメラは1/25より低速はありませんのでバルブにして柱にカメラをくっつけてシャッターを切りました。
5 古園石仏。
中央の大日如来のお首は落下して古くから手前の香を焚いている場所辺りに鎮座していましたが元に戻され覆い屋も完成しました。
私は少し首が短いような気がして違和感を覚えます。
以前、首が地面に鎮座されていた頃が懐かしいのですが・・・
これもシャッターは3秒ぐらいです。
END
TOP