手札判MENTORをシノゴトロピカルへ作り変える。
手札判のフォーマットはすでにずいぶん以前に廃判になっております。
そこで、この手のカメラはブローニーのロールホルダーを付けるかシノゴのフィルムを使った
周辺にブランクのある手札判、あるいは4×4カメラにして使うか飾っておくしかないですね。
ある方からシノゴのトロピカルカメラが欲しいとの御要望でしたがシノゴのカメラは現用で使えるのでかなり高価です。
しかもその高価な機材の皮を剥いでトロピカル仕様にするなどとんでもない話です。
昔からある大型1眼レフの黒い外皮を剥がすだけだから簡単そうに見えてこれが結構大変なのであります。
皮を綺麗に剥がすには重要なヒントがあります。
昔のカメラですから糊は膠なのですね、これに気がつかない方たちは
一生懸命シンナーで拭きとろうとして本体を傷だらけにしてしまうのです。
お湯が一番なのですが水でも結構です、湿布して水を浸みこませれば難なく皮をはがすことができます。
さて、皮の厚さも機械の構成寸法であることをお忘れなく木ネジをばらしていきますがこの種類が膨大です。要注意。
元々木材そのものでお化粧することを考えずに作られていますので丸鋸の跡が歴然としていたり節くれがあったり
それはそれで欠損したところには木材を埋めたりしながら下ごしらえが必要です。
ところでトロピカルカメラの定義というか作られた背景をご存じない方もいらっしゃいますので簡単にご説明します。
トロピカルカメラが作られた時代は写真が盛んに使われ始めた時期で
歴史的には探検ブームの時代と重なります。
この頃の黒い革張りの木製カメラは南方のジャングル地帯ではハエなどの虫が好む黒い色で禁物。
革には虫が卵をうみつけて幼虫の格好の住み家となるというわけですね。
そこで虫も食わないチーク材等をコパルニス仕上げで作り、
蛇腹も強烈な南方の太陽と虫から保護するために赤い皮革が使われました。
そのトロピカル地帯仕様の特製カメラが転じて王侯貴族や金持の間でもてはやされて
南方に持って行かなくても工芸品としての美しさで愛用され始めたのでしょう。
ですからいま本物のトロピカルカメラは大抵ウン十万円するのが定説になっていますね。
さて、今回のドナーは加工前の写真を撮り忘れましたので似たようなカメラをご覧ください。
このくらい汚いのをドナーにいたします。
ドナーのMENTOR手札は大正時代から続くMENTORの戦後の改良作品で
側壁が最新素材のアルミニューム・これがトロピカルの大敵。
ここにはマホガニーのツキ板をはらなければなりません。
永年の改良で中のメカは以外と簡素化されて綺麗です(これは戦後の改良型)。
おまけにシンクロターミナルもありましたがこれはもうダメ。
小さな手札判の機構でシノゴに拡大するためにバックの部分を約25o後退(下駄をはかせる)させますと
放射状に写角が広がるのでシノゴが使えるようになります。
バックのレボルビング機能も活かした、シノゴになりますがピント面も移動しますので
上に25oビューのすりガラス面も上昇いたします。
かさ上げした井桁の中に斜めに黒い棒が見えますがこれはレボルビングと連動して
縦横フレームが差し替わる優れた機構です。
すりガラスを入れて室内から出入り口の引き戸を覗いているところ。
メッシュの入ったダイヤカットガラスに差し込む朝日。
メカ室側の側壁はアルミなのでマホガニーのツキ板でくるみましたが
平板ではなく立体なので結構つぎはぎだらけ。
まだ天井が出来上がっていません。
単なる蓋にするか、遮光フードをどうするか、ピントルーペはどうするか?
いまはゴム製折り畳み式のピントフードの優れものを仮にあてがっております。
レンズはソフトフォーカス専用レンズ「ベリート・83/4 リンホフボード仕様に改装。
一応20cm前後のレンズは簡単に交換できます。
蓋とフードが完成しました。
後ろのフードはバネ仕掛けでパーンと立ちあがりますのでサイド側は前に立ちあがった蓋部分とピーンと引っ張りっこします。
仕舞い込むにはまず裏蓋を押したおしてサイド部分を内に折り込みます。
歴代の木製一眼レフでこの構造のものはなかったように思います、きっと新考案でしょう快適です。
まだ写っておりませんが両サイドにストラップ金具も取り付けました。
被写体がおりませんのでお正月の花がまだ残っている床の間
本当の1枚目でピント位置やシャッター、光線漏れなどの試験開始(ピントがずれていますね)。
f:5.6 1/16
フィルムはefke PL100M PC-TEA現像
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