万田坑・最初の探訪

石炭を掘り続けて幾星霜、石油資源に追われ、採炭コストの悪化もあって生産の時を終わり
いまは静かに朽ち果てる時を刻んでいる
九州は福岡県と熊本県の県境にある「万田坑」が国の重要文化財に指定されました。
いまは操業を終了した時そのものの姿を留めています。
いつの日にか保存の作業が始まるときが来ると思いますが本当の意味での保存の姿であることを祈りながら
今回の撮影ツアーを企画をされました遠来の写真家さん3名様とともにその姿を眺め
心打たれながらシャッターを押し続けてまいりました。

大まかに歴史を抜粋しますと

明治30年                                第一竪坑開削着手。
明治32年           第一竪坑鋼製巻ヤグラ竣工(現存するのは基礎のみ)
明治37年                                     第二坑着炭。
明治40年                                        ガス爆発
大正7年                                   暴動事件起こる。
昭和5年                                      万田坑事故
                                       同年馬引き運搬廃止。
                                          囚人労働が終了。
昭和29年                第一竪坑ヤグラを解体、芦別鉱業所へ移転。
平成9年      それまでに第二竪坑に行ったメインテナンスを終了、坑口閉鎖。
平成10年                                 国重要文化財指定
平成12年                                    国史跡に指定

願わくば可能な限りの現状維持に努めレプリカなどの配置が行われませんよう。



1 万田坑現正面からのビュー、第2竪坑が見えます。
手前のレンガ作りの建物が機関室ですが屋根の下の丸い飾り窓、左手が三、右手が井のデザインですね。



2 第二竪坑櫓とレンガ造りの巻機械室。


3 ワイヤー巻取りのドラム。


4 巻上機室入り口


5 鎮魂の山の神さまを祭ってあります。


場内には職場と呼ばれる建て家があってここでメインテナンス作業をしていたようです。
台風に遭遇して屋根の一部が壊れ落ちていますがここをどのように残していくかが心配です。


6 昔の機械室は外部に動力があって建屋内の高いところに長い回転軸をおき、夫々ベルトで動力を取っていました。


7 ガラス窓にも蔦が絡まり始めています。


8 何かコトがあるとここに準備された小道具が現場まで走ったのでしょう。


9 資材置き場と思われます。


10 動力軸が建物中一杯に貫いています。
旋盤もグラインダーもこの軸にベルトをかけたり外したりして使ったのです。



11 部屋の反対側には最後まで補修部品として用意されていたであろう機材がありますが
いざ突発事故などに備えて普段の手入れは手抜き無しの真剣勝負だったのではなかろうかと思います。
右下の金床は長さ1mほどもある巨大な物です。



変電所(配電所)に回ってみましょう

12 すでに機材はあらかた取り外されていて廃品置き場には機材が打ち捨ててあります。



13 防爆電灯と思われる金網のついた電灯が炭鉱の厳しさを物語っているようです。



14 ここにも防爆電灯が・・・



15 電線の廃材、すでにリールが崩れていました。

まだまだお見せしたいものがありますが、今回は万田坑のご案内と云う事でお開きにさせていただきます。

最後に、270mの竪坑を下り、暗黒の仕事場で想像もできない過酷な労働のあとに粉塵を洗い流す
真っ黒なお風呂の湯でも坑夫達にとってはきっと、無事家族と会える悦楽の湯でしたでしょうね。


16 風呂場

END

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