三浦按人 鄭成功 小麦さま

平戸 400年の歴史に織り込まれた人々
2012-02-13

11 三浦按人
オランダ塀の遺構を辿る坂道。

この塀はオランダ人たちが集まった商館や住居の周辺に彼等が築いた塀なのでそう呼ばれているようです。
http://www.geocities.jp/joysunny/hirado/hirado018.htm

エリカ645(自作カメラの愛称です)

細い坂道を上り詰める。

エリカ645

左は無縁塔 中央は三浦按人(ウイリアム アダムス)の墓
右手は三浦夫妻の塚。

この辺りからご覧の方々はお退屈なものばかりです。
白石一郎著「航海者」

初めて日本に到着したイギリス人アダムスの数奇な運命も徳川家康の死とともにまた平戸に戻ってこの近くの住いで病を得て幕を閉じました。

三浦按人もこの光景を眺めていたんだなぁ。

手前はオランダ塀


家康が死んでからは家光や家臣から監視されて平戸に閉じ込められたようです。

2 鄭成功


平戸で生まれ7歳で海を渡り台湾を開放し明を助けようと立ちあがったこの英傑の活躍には心が湧き立ちます。

今回ついに彼の生誕の場所に辿り着きました。


彼の足跡

鄭成功廟

鄭成功誕生石

父は鄭芝龍。

母マツは貝を掘りに浜へ出て急に産気づきこの岩に凭れて出産した。

奇しくも投宿したホテルの窓から見下ろす場所が其処でした。

中央のヤシの木の影の岩礁です。

白石の小説では太陽が水平線に没する頃出産したとなっていますが地形から見て太陽は右手の山に没します。


日没前です。

鄭成功旧居跡。

カマボコ屋さんのすぐ裏が旧居跡。

ここのカマボコが素朴で美味しい。


このカマボコ

3本で120円!!

小振りですが実に美味、

この辺りも当時はポルトガル船や南蛮の船が停泊し倉庫跡などもあり
鎖国で貿易が長崎の出島一本に定められてからは平戸は衰退し
ここにあった丸山遊郭が長崎の丸山遊郭として移転したといわれています。



kanさま
この日は実に穏やかな日でありました。
鄭成功廟の展望台からホテルが見えました。
最上階の右から4番目の部屋でした。

nonakadesuさま
お忙しい中無理をしてもらって悪いですね。
今日は市の美術館でサザンクロス展覧会の準備をしてきました。
久しぶりに市内に出かけた事になります。
明日から日曜日までが展覧会です。



3 小麦さま

今回の平戸探訪は海洋小説家「白石一郎」の舞台に良く登場するこの島で鄭成功と三浦按人の足跡を見てみたいという動機が大きかったのです。
では「小麦さまの墓」という案内標識がちらっと眼に入った時の僕の驚きはなぜか。
白石の短篇小説の中に「小麦さま」と言うのがあったのですがそれは彼の創作とばかり思っていたからでした。
文庫本30数ページの短編は豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」の中で描かれています。
1592年秀吉は平戸の近くの肥前名護屋に本営を築いて朝鮮に出兵したのですが当然地元平戸の領主松浦鎮信も第一陣で出兵し、その一兵卒「谷口喜兵衛」が京城(現ソウル)辺りの麦畑で逃げ遅れた貴族の娘(王女?)を捕らえて藩主に差しだした事から鎮信の側室となり日本に引き上げる時に壱岐の島辺りの船中で出産、子供は壱岐の島に捨てられ平戸では側室ではあったものの正室に遠慮があったのか辺鄙な根獅子に喜兵衛を伴って住いを移されたという筋書きのものでした。
小麦畑で見つけられたので「小麦さま」と呼ばれて遠い日本での生涯を余儀なくされた女性の哀しい話なのですがてっきり小説の中の話と思っていました。

谷口喜兵衛は実在した松口喜兵衛だったのか。

松浦鎮信も長い事朝鮮に出兵させられたものですね。

特異な形をした墓ですが二基、大きい方が小麦さま、もう一基は侍女の墓でしょうか。

400年近くいまだに丁寧に手入れされて花が絶える事はないようです。

大きな方の墓は高さ80cm位、2.5m角ほどの方形で上は平らになっています。
小麦さまが壱岐の島に捨てた長男は成長して土肥市三郎と名乗り捕鯨の網元となって名字帯刀を許され名を残したと言われています。
また二男信正は平戸藩の家老となりこの根獅子辺りも領地であったと。

この日宿を発つ前にTVで隠れキリシタンの墓地が長崎で昔のままの姿で発見されたと伝えていました。
小さな墓が数十基ありましたがこのように扁平でした。

方形なのは十字を意味するもので中央部は少し窪ませるのだと学芸員の話が耳に残っています。
このお墓は大そう立派な作りで平らな四辺形、心もち中央は窪んでいるように見えます。朝鮮の墓はこのような形が一般的とも思えません。
時代や小麦さまの境遇からもキリスト教に帰依していたのかもしれないなどと想像してしまいます。

まさか小麦さまが実在の人で3人の子をなし、従卒だった松口家の末裔がいまだに大切に墓を守っていたとは想像もできない、不思議な糸に導かれた旅であったような余韻に浸っています。


壱岐の島のHPに捕鯨の話の中で土肥市三郎や小麦さまに係わる話が出ています。
少し長文ですが
http://www.ikishi.sakura.ne.jp/hogei.html

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