麻生炭鉱の遺構

わたしの住いから5kmも離れていない近場に麻生炭鉱の遺構を発見しました。
実はこの場所はおそらく約30年以上前に一度通っているような気がします。
道に迷ってどうも公道ともいえそうに無い不思議な場所に足を踏み込んだ思いで急いで通り抜けたような・・・
最近は道もかなり整備されて新しく通りやすくなったのですが
どちらに向かうにも普段は使いそうに無い僕にとっては脇道にふと寄り道をして見たのです。

すると新幹線の高架で遮られていた風景の山中に聳える構造物。
まさに炭鉱の閉山後の遺構です。

とりあえず何も用意をしてきていませんでしたのでメモ帳代わりに持ち歩いていたコニカC35FDに
ラッキーASA200が少し残っていると言うことで・・・。
2006年10月


























9 これは説明が必要です。
我家から直線で150mほど離れた場所にある錆びた鉄塔。
これが麻生炭鉱で掘り出した石炭を現場から4〜5km離れた、
いまのぼくの家の前を通り抜けて、さらに約800m先の国鉄「土井駅」まで
ケーブル輸送していた索道のただひとつの残骸です。

今回これまで
とても通りすがりでは進入できません、装備が必要です


と云う事で僕の気持ちの中で封印したままにしてあった遺構を
東京の写真家2名様の同行を得て2度目の発掘に出発(2007/03/23)。

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13 炭車に積み込む4連ホッパー(上の写真の右側の構造物の下)


14 下草も枯れて今度は通れます。


15 シャワー室と推測していますが


16 脱衣とシャワーの部屋でしょう。


17 石の鳥居 なぜか昭和9年を書き換えているようです。


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19 草は枯れ果てていますが茨が痛い。
ここも大きなホッパーでしたので洗炭施設だったのかと
思っていたら原炭フィーダーと書いた板切れが掛かっていました(22)。


20 プレハブの小屋にはサイレンが。


21 プレハブの室内


22 木材類は朽ち果てていましたがホッパーの陰で雨風に曝されなかった文字
毎時100トンの処理ができ原炭の搬送ベルトコンベヤー750mm巾、毎分60mの速度だったのですね。

始めて人の気配を感じるような場面でした。

END

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